まとまりの無い死生観

 叔父が亡くなったとの報を受けた。急性白血病との事、17日に微熱で病院に行った所、検査の結果診断され、その後今日である。最終的に肺が機能しなくなったという。
 叔父は親父と同い年である。いつかは通る道と思い、ワタクシの周りでも親御さんが亡くなったと聞くにつけおまじない的に「ご冥福をお祈りします」とはどうしても云えない。遅かれ早かれだと正直考えている。葬儀費用は全国平均でいくらだとか着々と調べ上げ、習慣にないその為の貯金を始めようと画策等している。
 ワタクシ自身も平均寿命前提で折り返し地点、身内もそうだが自身も危ういのでは感は否めない。
まぁ、長寿願望はまったくないにしろ長生きしそうなリスク?をひしひしと感じている。去年ぎっくり腰になったときにはヘロヘロにその感は打ち砕かれもしたが

全然関係ないが、今日届いた封筒に「かぼちゃワイン」の切手が貼られていた、ホッコリ再び。